宇摩太鼓蔵全国祭写真巻

五穀豊穣と自然への感謝と祈りを目的とする秋祭り。現代に至るまでに、途絶えた出し物もあろうが現存していることを記録に残していくことで祭りを伝えていきたい。

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愛媛県四国中央市土居町長津 一宮神社秋季大祭 2008/10/15 藤原太鼓台

新居浜市東浜太鼓台より購入し2008年より大人太鼓台の運行を開始。組立は一度東浜自治会が行い、一度重受けまで解体して搬送、土居町にて組立し藤原太鼓台の運行終了後に再び解体して東浜自治会にて再度組み直した。2009年に新居浜市東浜太鼓台は新調する。
藤原太鼓台は法被に「明神丸」と入れており往古は船ダンジリか?
藤原 08151
藤原 08152
背面上部に明神丸と名入れしている
藤原 08153
八日市は大人・子供太鼓台の二台。藤原も子供・大人太鼓台の二台が奉納しており合計四台が宮入りする。
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  1. 2009/02/27(金) 21:04:42|
  2. 土居町長津
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愛媛県四国中央市土居町長津 一宮神社秋季大祭 2008/10/15 八日市太鼓台 

15時頃から土居町内各地の神社では宮入が行われる。蕪崎では御旅は太鼓台のカキ棒に神輿を載せて神社へ向かう。この一宮神社は先に神輿が到着し、子供太鼓台は西から大人太鼓台は東から宮入。土居町内は大人太鼓台は完全新居浜型に変化したが、子供太鼓台は往昔の西讃型が少数だが現存している。新居浜に近い地区は古くから新居浜型かそれを改造した西讃型であったが東に行くと西讃型が多数であり、これは豊岡町や寒川町と共通である。では具定町は三島型で寒川中部から西讃型。この違いは何故だろうか?思うに太鼓台の伝播と関係あるように思える。三島型は派手さを求めた結果が五色の七重である。対して西讃型は赤一色の七重。三島型と西讃型は地域への伝播が違ったのではないか。三島型の原型となる形状が上方から伝わり西讃型は違う形状で上方から伝わったと解釈していけば、棲み分けの説明が付く。長くなるからこれくらいの説明にしておきます。
八日市 08151
野田八幡大神社へ寄ると宮入は終わり子供太鼓台は解体中。上市御船を捜したが見つからず一宮神社へ。宮入は15時と情報を仕入れていたが、太鼓台はおらず境内にいた人に聞くと宮入はまだで予定が遅れているとのこと。しばし待機してたら東と西から太鼓の音が。まずは子供太鼓台がならんで登場。東から大人太鼓台も2台連なり登場

八日市 08152
  1. 2009/02/24(火) 22:25:06|
  2. 土居町長津
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愛媛県四国中央市妻鳥町 三皇神社秋季大祭 2008/10/15 平木太鼓台 

松木地区内を運行中
平木 081510
綱をつけて子供達が引っ張ってます。
平木 081511
平木 081512
これが金房の平木太鼓台最後の姿です。宮入には昼とは違う変化が・・・。なお、この後土居町に撮影しに移動。昼間の旧川之江市の写真はこれが最後です。
  1. 2009/02/20(金) 14:01:39|
  2. 妻鳥町
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愛媛県四国中央市妻鳥町 2008/10/15 平木太鼓台

中下地区内を運行中の平木太鼓台です。
平木 08157
平木 08158
  1. 2009/02/16(月) 21:35:13|
  2. 妻鳥町
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愛媛県四国中央市妻鳥町 2008/10/15 新濱青年太鼓台

三皇神社で昼食をとり妻鳥町上地区へ向う新濱青年太鼓台
新濱青年 08153
先導の旗は新濱太鼓台で太鼓台は新濱青年太鼓台
新濱青年 08156
七重の角度は金川太鼓台と同じ?
新濱青年 08155
右から平木太鼓台・松木子供太鼓台・新濱青年太鼓台
  1. 2009/02/11(水) 21:15:55|
  2. 妻鳥町
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愛媛県四国中央市妻鳥町 三皇神社秋季大祭 2008/10/15 平木太鼓台・松木子供太鼓台

平木地区の新旧太鼓台合同写真撮影の様子です。川之江町古町太鼓台・栄橋通り子供太鼓台も毎年合同で写真撮影してます。
平木・松木 01
集合前の一服
平木・松木 02
改めて少子化の波を感じとれます。松木も平木も20年前は子供が多かったのですが、写真を見ても今は数えるほど。浜田が少子化で運行休止になり復活は望めなくなり、中下も子供主体の運行が無くなり松木も少子化に歯止めがかからない場合は運行休止も考えられます。新濱も将来的に一台にせざるをえない時期が来るでしょうし、国がもっと福祉政策に税金を掛けて産む・育てる・生活できる安心が平等に受けれると保障されないと人口減少に解決策は無いと思います。

ミニ知識:平木とは主に開いた(平らや広い)土地や地域で早く開かれた(人が多く住み始め交流が盛んになった所)を意味し平たい木がある場所を指して平木と呼び始めた例もあります。妻鳥町平木は街道に沿って繁栄した地区であり開かれた地区を意味するものです。今はありませんが平たく横に伸びた松の木が昔からあり、そこから平木としたという説もあります(妻鳥町誌)
松木とは官道の馬を繋ぐ場所を意味したり、塚の役目をした松の木や松がたくさん生えていたところから付いた土地名です。妻鳥町松木は上分町高木や北新町・金生町住吉と妻鳥町松木付近にあったとされる大岡駅(川之江町にあったとする説もあるが埋蔵物も遺跡も見つかっていない。上分町ではバイパス工事で遺跡が発見・発掘され中世に大規模部落が周辺にあり大勢が生活したと推測され、昔は田畑から土器などが出てきたという。現在は遺跡は埋められ道路になった。せめて一部だけでも保存できなかったのか。ここでも文化財軽視の風潮がみられる)は馬を駅間で継ぐ場所でもあった。ちなみに宇摩郡の宇摩はまさしく「馬」を差す。千年以上前から馬がいたことから発達した文化があったことが裏づけされ誇るべき地名である。な~んの誇りも意味もない「四国のほぼ中央」なんていう抽象的な市名にし良い市名と言いながら郷土と国を愛し誇りを持とうなんていう考え方には賛同いたしかねます。もちろん州都にならなかったら市名変更するのが筋ですが財政難とかでしないでしょうが。話が逸れましたが妻鳥町松木は馬継が「うまつぎ=馬木」と記載され、これが口伝しながら「う」が取れて「まつき=松木」となったと思われます。
  1. 2009/02/08(日) 21:55:43|
  2. 妻鳥町
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愛媛県四国中央市妻鳥町 三皇神社秋季大祭 2008/10/15 中下太鼓台

戻ってみるとまだ休憩中。そして台車が到着してました・・・。壮青年の相談の結果、ここでカキ太鼓は終了にして公会堂で昼食をとることに。太鼓台が動かず休憩している間は暇です、知り合いも極わずかで同級生もおりません。手持ちぐさに撮影写真の確認をしてると、重大なことに気づきました。担いでいる写真が無いことに・・・。よく考えたら前方から担いでいる状態を撮影していません、ということは写真など写せるわけ無く、しかも途中から参加してからなおさら撮影できず。無念、まず撮影してから参加すべきでした。これは今年の教訓として生かし、まずは撮影を終えてから担ぐことに専念することとします。そういえば、せっかく近くにいたのに先代太鼓台についても聞いてないし何やってたんでしょ。
中下 08158
休憩も終え到着した台車を入れることなり、いつの間にかカキ手も増え先ほどとは違いすぐに上がりました。15年程前に強化樹脂製車輪が溝にはまり破損、翌年にゴムタイヤに交換。この時に車輪上部を保護するカバーも外しました。写真は台車をはめる前で、後方から差し込むように入れました。例のごとく運行中の写真はありません。
中下 08159
公会堂へ到着し、皆安堵の表情です。気づいたら13時も過ぎて14時前。荒神社出発からおよそ2時間で直線距離で数百メートルしか離れてない公会堂へ到着。これが担いで帰っていたら到着は15時頃になっていたのでは?さすが台車をつけると早い早い、スイスイ進みました。担ぎながら壮年勢は「こりゃ軽い」「やっぱゴマはつけないかんの」改めて担ぎ通すことの大変さや、ゴマを使わず奉納していた先人の偉大さを身をもって感じました。
中下 081510
集会所でカレーを頂きました。登録してないからと外に居たら大人太鼓台再建当初から参加されてる方に参加したのだから食べていきなさいと声を掛けられ、迷いながらも集会所内へ。2日前に配達した食材を頂くことになるとは。少し複雑な気分になりながら美味しくいただきました。今も後悔しているのは、また細部の写真を撮らなかったこと。
  1. 2009/02/06(金) 22:57:35|
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愛媛県四国中央市妻鳥町 三皇神社秋季大祭 2008/10/15 平木太鼓台

昼食休憩中の平木太鼓台。掛布団下に大綱が見えます。
平木 08151
平木 08153
山下八郎縫師が立体刺繍に取りかかった初期の作品で屋根の角度を上げて遠近感を見せる工夫が施されています
平木08154
三島町東町時代は羽が倒れて赤布部分についてましたが補修の結果、本来の立体感を出すことに成功。見れば見るほど味のある刺繍飾りです。
平木 08152
青年団旗は妻鳥村青年団となっており戦前から受け継いだものでしょうか?屋号の由来でもある三皇神社社紋の八重桜を基調とした青年団章が見えます
  1. 2009/02/03(火) 23:31:06|
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