宇摩太鼓蔵全国祭写真巻

五穀豊穣と自然への感謝と祈りを目的とする秋祭り。現代に至るまでに、途絶えた出し物もあろうが現存していることを記録に残していくことで祭りを伝えていきたい。

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愛媛県四国中央市妻鳥町 三皇神社秋季大祭 2008/10/13 綿市幼児太鼓台

山口郷総鎮守として中世より棹の杜に鎮座する三皇四社の一つ、三皇神社の秋季大祭が10月13日に行われました。日本武尊が筑紫国へ向う際に白鳥となり降りたたれ、休息された場所が現在の棹の森と云われております。このため、日本武尊を主神として祀り山口郷総鎮守として時の豪族や権力者から手厚く保護され社領も寄進されております。現在は、明治以後の森の開墾と戦後の地租改正により社有地が縮小されており、参道も現在地に変更されました。明治以前は現在の中下公会堂付近に鳥居があり、一直線に拝殿へ向う参道だったようです。現在も名残として、拝殿正面と対極に灯篭と石垣が残されており、道が森の中へ続いています。以前の参道にあった鳥居を御旅所の鳥居に使用しておりますが、明治以前は御旅所はおそらく神社境内にあり、三豊市山本町菅生神社のような境内であったと推測されます。創建以来、幾度も大火に見舞われており創建当時の資料は無く、また町内でも祭事に関する重大な史料も発見されてないので太鼓台がいつ頃から奉納されたのかは不明です。おそらくは江戸末期にはあったとおもわれます。これは綿市太鼓台の太鼓が明治初期に製作されており、当時は土居・平木・中上・松木も大人太鼓台を所有していたことから推測されます。推測でしか祭事については説明できませんが、神社は神主が途絶えることなく存続し、時には隣の定連寺と一体化しながらも氏神として妻鳥村を見守ってきたというのは事実であり、これからも続くことでしょう。できることなら、20年ほど前の15日に境内に露店が並び子供達が集まってくる秋祭りが、また訪れることだとあればと思います。
第壱號 綿市幼児太鼓台 
妻鳥町の子供太鼓台として第壱號太鼓台です。気づいた頃にはありましたから、20年以上前から運行しています。太鼓は七重上にあり、上に乗り叩きます。夜は投稿器をつけ大人太鼓台の後を付いていきます。運行主体は綿市愛護班で担き手は小学生高学年未満の子供です。刺繍は平面刺繍で、布団締め・掛布団は龍。幕は黒地に龍です。法被は水色で、これは以前の綿市の団色です。 
綿市幼児 081
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  1. 2008/11/25(火) 22:16:23|
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