宇摩太鼓蔵全国祭写真巻

五穀豊穣と自然への感謝と祈りを目的とする秋祭り。現代に至るまでに、途絶えた出し物もあろうが現存していることを記録に残していくことで祭りを伝えていきたい。

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昔写真 宇摩郡妻鳥村 第壱号綿市太鼓台 昭和20年代 

第壱号として絶えず奉納していた綿市太鼓台。綿市とは綿の市をおこなっていたから起こった地名。管理人が小学生の頃までは、綿市には綿を栽培し、糸にする作業所がありました。(使用されず廃墟でしたが)その作業所も道を作るために壊され、畑も無くなりました。綿市の集会所に荒神があり、大祭には神輿が休む場所になります。明治時代の話ですが、まだ妻鳥町に六台の大人太鼓台があった頃、太鼓台は最終日に神輿のお供で地区を周り、最後に綿市の荒神まで行き、そこで解散していました。ある年、神輿が帰れば祭りが終わると、綿市の荒神までお供した太鼓台が行く手を阻みました。そうすると、綿市のカキ手が怒りました。「神輿が帰らな、太鼓をしまえん!」綿市と他のカキ手は喧嘩になったそうです。ただし、人同士の喧嘩ですが、その後どうなったかは知りません。(2006年 町民だより記載)綿市太鼓台には、昔から掛け布団がなく、大人太鼓台として復興するまでは前後左右の棒の上に柵をつけて子供が乗っていました。綿市太鼓台が新調し、記念運行を行ったのは祭り前の日曜日と記憶しております。そのときは夕方まで地区内をまわり、最近は入らない細い道にも入っていました。太鼓は明治2年に制作されていますから、江戸末期には所有し運行していたと思われます。妻鳥町には古文書が少なく、太鼓台に関する記述もあまりありません。そして、今から探しても見つからないでしょう。代々、神主であった家系の方なら書物など持っているかも知れませんが。
妻鳥綿市 昔壱

布団締めは細く、掛け布団は無い。房も小さいが四つ房は今と同じ位の大きさ。トンボの大きさも今と同じ位か?
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  1. 2007/04/23(月) 21:51:58|
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